11月5日まで

石の話

松本平の端っこ、山あいの谷間に古くからあるお寺さん。
ここは仕事で随分と世話になっている、あるお客さんの実家で、その方から父=前住職が本を自費出版したいとの相談があり、手伝うことになった。
とてものどかな場所。
のどかな場所に、のどかな風景のお寺さん。前住職もとてものどかな雰囲気の方。

その出版されたいという本はご自身が何年もかけて調べてきた、この谷間に点在する400余りの石造物を記録した本である。

その石造物とは、お地蔵からはじまり、道祖神やら歌碑やら供養塔やら…古いものから新しいものまで、とにかく人が作って建てた石で造られ、建てられたもの全てである。
そんなありとあらゆる石造物がカテゴリに分けられて記録されている。

この中、馬頭観世音のカテゴリ。その数が結構多い。多いだけなら特に気にとめもしないのだが、前住職が気になったことは、子供の死を弔う供養塔の数との比較であった。

昔、こうした山あいの田舎では特に子供の死亡確率が非常に高かった。一年で平均15人の幼い命が失われていた記録があるとの事。
病気になっても身近に医者はいない。山に生える薬草を煎じて与え、あとはもう祈るばかりで運を天に任せるしかない。だから当然死亡率もあがる。しかしその供養等はほんの数える数しか残っていない。

その数少ない供養塔に対して、馬頭観音の数は、この狭い谷あいにおよそ90体も存在する。
山を切り開き、苦労を重ねて田畑を開墾する日常の中では、馬がいなくなると何もできなくなる。だから馬が死ぬことは、赤ん坊が死ぬことよりも、その家にとってはとても重大な出来事だった。
子供の死を弔う供養塔にくらべ、馬頭観世音の数が多い理由はそこにあるとのこと。
子供の死は諦められても、馬の死はなかなか諦められなかった現実、時代。
似たような現実が、今でも地球の反対側にあるらしい。

まじめに生きなければいけいないと、こんな話を伺うと、思ってしまう。
チョイトだけ身を正そうと思ってしまう。

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朝マック。
実は、朝マックには結構常連がいる。自分もその一人なんだけど。

その中に決してまじめに生きていなさそうなオヤジがいる。
そのオヤジが、たまたま来ていた数人の娘さんちに向かって「みんな美人だな…」ってニヤニヤしながら声をかけていた。
娘さんちは皆ニコニコしながら「ありがとう!」なんて応えていた。

そんなやりとりを見て内心、ツッコミをいれる。
「みんな…」ではない。
「一人を除いてみんな…」が正解である。

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濃霧。松本平は、実は霧に包まれることが多い。

11月5日まで

今日は秋の行楽。で、妻と一緒に安曇野方面にドライブの予定。
明日は降水確率80%。チャリに乗れなさそうなので、朝から飲むしかない。



2011年11月05日 Posted bytosikiya at 08:24