12月14日まで

寒いさむい。
昨日は地元の某乳業メーカーの案件で、山梨方面のスーパーの視察に出掛ける。
雨も雪も降りはしなかったが、途中、猛烈な風が吹いていた。
高速道路上でハンドルをとられてヒヤヒヤ。

富士吉田市で、富士山。

12月14日まで
 
お忍び状態で、4店舗の売り場を視察。
・・・ふむふむ。
参考になったのか、ならなかったのか・・・ようワカラン視察だった。

帰り、高速入り口まで甲府市内の20号線を通る。
大渋滞の先の空、怪しい雲景色。

12月14日まで
 
のろのろと走りながら、なんの脈絡も無く、30年前の大学生時代のことが突然よみがえった。
ワシは、大阪の芸大に入学した。
そこで写真を専攻していた。
劇団に在籍していた1回生時代。
2回生に上がる前に退団。寮の連中の映画作りに4回生まで関わった。

月刊漫画誌「ガロ」を愛読し、岸田秀や栗本慎一郎の本を読んで、わからんくせにわかったような顔をし、
日活初期やATG…アートシアターギルドの映画を好んで見ていた。
山田洋二の東映もよく見たな・・・

名前が思い出せないが、写真学科のナントカ…郎と、写真論を闘わせながら、よく安酒のんでいたよな・・・
そんなことを考えているうちに思い出した人物が、同じゼミに同席されていた、いっこ上のイノセ先輩。
するどい目をしていて、細身の体に細身の黒いジーンズがよく似合っていた。
吸っていたタバコがメンソールで、その吸い方が独特だった。
ゼミの最中、眼の前に水を入れたコップを用意し、フィルタにその水をチョコンと付けて吸っていた。

イノセさんの撮る写真は、凄まじかった。
晴れの写真が一切無い。
気持ちが暗くなるような、どんよりとしていて、内蔵をえぐりとられるような感覚になる写真だった。
そういった意味で強い力を持った写真。

そのイノセさんに、暗室の技術を教わった。
彼の焼きこみがまた強烈で、一枚を仕上げるために印画紙を納得ゆくまで何十枚と使う。
しつこく繰り返して焼きこみをしていく中で作られていく彼独特の絵柄、世界観。

小さな沿面台の中を這う大きな蜘蛛。
布団の上で裸でうずくまる老人。
病院の廃墟、手術室。
ホルマリン漬けの胎児。

イノセさんの写真を作り上げていくあの行為は、自分の身の肉を少しずつはがしていくような行為にも見えた。

卒業後のイノセさんの写真を、一度だけある雑誌で見かけた。
雑誌の名前は忘れたが、どちらかというとアングラ系の内容だったような気がする。
その後は、ついに見かけることはなかった。

イノセさんに、○山(=ワシ)の写真は記号論だと言って評価されたことがあった。
その時、自分が撮る写真の方向が見えたのかもしれない。
そのせいなのかどうかはわからぬが、卒業制作では、学長の岩宮武二先生から、学年で唯一一発OKをもらうことができ、最終的にナントカ賞ももらった。
しかし、その道には進まなかった。

・・・なんてコトを、山梨からの帰り道、渋滞の20号線の上で思い出した。
あれから30年近く経つが、その間、イノセさんのことを思い出すことはなかったのに。

なにはともあれ、懐かしく、そして今では夢のような時代である。



2013年12月14日 Posted bytosikiya at 10:57